嫉妬と向き合う

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↑これはお友達が沖縄のお土産に買ってきてくれたフラワーオブライフがたっっっくさん描いてある絵♡百均の額縁に入れて、玄関先に飾ってあります。

 

本題をば。ちょっと暗い部分もあるので、苦手な方はこの記事は読み飛ばしてくれて構いません。

 

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わりと大きめな課題にぶち当たりました。そう、「嫉妬」という。私は、昔から嫉妬心が強いほうだと自覚していました。今回、この感情と向き合おうと思ったきっかけは、私の友達にアイデアマンがいるんです。私はその友達に対して「羨ましいな」と常々思っていたのですが、今回、北海道を離れてそれをより強く感じました。そこで、歴代嫉妬を抱いたことのある人物を列挙しました😂

 

おおむね同級生で、年が離れていると嫉妬対象からはやや外れるようです。若くして売れた、とか若くして〇〇っていう人をみるといいなぁ私もこの頃からこれをやっていたらなーとは思いますが、まあ知らない人ですし、そこまで大きな感情になることはありません。

 

次に、何に対してかを考えました。具体的には、「字の上手い人」「歌が上手い人」「絵の上手い人」「可愛い人」「細い人」「私が大切にしている人に好かれている人」「パソコンの得意な人」「写真が上手い人」などなどなど。

 

要するにコンプレックスを刺激するような人ですね笑。見た目は完全にコンプレックスでしょ。自分の強みとしているものが自分よりできる人は、人より優れていたいという思い。大好きな人に好かれている、は独占欲かな?あとは、継続して物事をやりたいとかアイデアマンでありたいとか、自分の理想とするところをやっている人ね。

 

嫉妬の一番最初の記憶でいうと、習字を習っていた時、私はどうしてもその子より上の級•段にいきたかったんだけれど、いつも二番手だったんです。それを見て母ちゃんが言うんですよね、「またあの子に勝てなかったね〜」。そんな何気ない一言ですけど、幼いながらに気にしていたんだなぁと思います。そして、今でも母ちゃんに言われます。勝てない子がいたね、と。

 

人と比べられることが、どんなにか心の傷になるか。別に比べなくてもいいじゃない、と思いますが、世の中の全てが家族だった頃に植え付けられた比較対象。人より優れていないと母親に認めてもらえない。私は自分でいつの日か言っていたことがあります。90点を取っても、褒めてもらえない。100点満点の完璧じゃないと、母は褒めてくれない、と。もしかすると、そんなことなかったかもしれません。でも、頑張ったことを否定されることで、がっかりしたこともありました。承認欲求というものが、強く刺激されていたのでしょう。

 

こじらせてここまできました。そして、ファッションに対してもこの嫉妬心が強く根付いていることに気付きました。

 

太ったことは、私の中でかなり一大事でした。実害がありました。当時、男の子に「アジャコング」と呼ばれ、笑われました。好きだった男の子もそれを聞いてクスクスと笑う。そして、着ることができていた可愛い服がどんどん着れなくなっていきました。

 

生まれつき可愛い子には絶対敵わないという瞬間がありました。だから、努力しても無駄。だって、敵わないから。そんなふうに思って、私は自分を諦めました。

 

諦めて、はや20年くらい?努力したいと思ったこともあったけれど、なかなかうまくいかず、人のせいにしてはやっぱり自分を諦めていました。

 

人と比べない仲間ができたのに、自分が一番人と比べて、自分を諦める。そんなループに再びはまろうとしています。それは、本来の私じゃない。年は関係ない。見た目も関係ない。自分が良いと思うことをしていく。自分がやりたいと思うことをしていく。

 

私は可愛いお洋服を可愛く着こなしたいし、好きな絵や歌も楽しくやりたい。

 

切磋琢磨できるライバルなら、ともに高め合っていけるはず。より良いものを目指して。嫉妬は、歩みを止めさせる名人。

 

さあ、嫉妬と向き合いながら、どんなふうに努力していこうかな😄