私は自分の好きが曖昧です。たぶん。例えば、好きな服装。どんな服を着るのが好きか、わからなくて私は長年洋服を他者の趣味か自分以外の誰かになれそうな服でしか選んでいない時期がありました。洋服は母から買い与えられるもの。それが絶対的なことで、私はそこを疑いもせず生きてきました。
好きなごはん。恥ずかしながら、私は色んな料理を自分で作れるとは思って生きてきていませんでした。それもつい最近まで。例えば特別な資格を持った人(パティシエなど)が作れるものばかりだと信じてやみませんでした。だから、ご飯は買うもの、お店で頼むもの。そういう存在でした。
母は、歳をとった為なのかわかりませんが、何もしない人でした。何もできない人でした。現在で言えば、専業主婦なのに掃除や料理をしない人。わからないことは一切やらないできない人。例えば、車ガソリンのセルフ給油。やり方がわからない覚えられない怖いという理由から自分ではやりません。それでも他の誰かがやってくれるので、自分はやらなくていいのです。スマホでわからないことは娘の私に聞けばいいと思っているのと同じように。
私はバツイチなのですが、好きな人の好きなもの一色になったことがあります。好きになるとそういうことが起こる人も中にはいるのだとは思いますが、恐らく自分がなかったのです。好かれたかったのも勿論あるとは思います。でも、極論で言えば、自分というものがなかったのです。人にどんなものがいい?と聞かれて、「なんでもいいよ、お任せで!」と言ってきた経験があります。しかし、例えば出来上がったものを見ると、なんか違うなぁ?と思ったけれど、そんな考えも殺して(お任せで!と言った手前)考えるのをやめます。なにが思っていたのと違ったのか?自分はどういうふうにしたかったのか?言葉にする術、明確にする術を持ち合わせていませんでした。
自分の好きを殺していないと、怒られると思っていたのかもしれません。誰に?母に。
うちの娘は何事もはっきりしています。やりたいこと、好きなもの、好きなこと、なんでも。母はそんな孫を見て言います。「あんたと全然違うんだよね。あんたはそんなこと言わなかった」と。最近、それを聞いて思うのです。言わなかったのではなく、言わせなかったんじゃないか?そして、言わせなかったことは、現在に至るまで呪いのように私を縛って離さない。自分の好きがわからない。
多分、かなり根深い問題だと思います。母との関係性の呪縛を解く。娘は私の元に、それを経験させてくれるために来たのではないか?とさえ思うことがあります。今日は何故かこれを言葉にしておかないとという気持ちになりました。ノートでも手帳でもなく、このブログに文章を打とう、と。
相手が、「どんなのがいい?」と聞いてくれるのにわからない私。はっきりしている娘を見ると、ある意味スカッとするのです。まだ小さいのに、私の分もはっきりしてくれている。娘に対して、抑圧してはいけないと思うのです。勿論、教えてやらなきゃいけないことはあるなと思うのですが、価値観を押し付けたり、否定したりはしちゃいけないなと。娘はむすめ、私はわたし。それぞれ一人の人間。
母は、私を管理したがります。ある意味父も。そして、正解だけ与えて、何故なのか?本当にそうなのか?どういう過程を経てそうなるのが正しいのか教えていませんでした。例えば、「借金はするな」なぜ?どうして?どうやったら借金せずに済むのか?社会人になったら、クレジットカードの一枚も持っていないとと言って作らされたけれどどうやって使うのが正しいのか?そんなことを教えられるわけもなく。
母の呪縛から逃れるために、私は家を出ました。方法は間違っていたけれど。
私の好きを探そう。好きが全くないわけではないけれど、本当の好きか?他人の真似だったり、他人に合わせた好きじゃないか?それを考えて好きの整理をしようと思います。




