来週面接

来週面接に行くことになりました。そしてリハ主任が面接をするようだとわかったため(当たり前)、すっかり具合が悪くなりました😅久しぶりに聞く主任とか役職にザワザワしましたが、仕方がありませんので来週お会いしてきます。

 

時に、今回ふとわかったこと。全ての人において、共感力の強い人はとても少ないということ。また、困りごとのある人の相談にのる立場であっても、相手の立場に立って話すことが全くできていない人が多いということ。相手の求めていることを察することができない、困りごとに対する解決策に具体性がない。これは私の仕事にも通ずるところ。そして、具体的解決策がないと人は満足できない。至極真っ当、当たり前な話だと思う。人は誰しも自分本位で、自分の物差しでしか物事を測れない。そもそも自分の価値観を押し付けていることに気づいていない人がきっととても多い。ただそこは紙一重なのかもしれない。自分の価値観(大切にしているところ)や引き出しの多さ、客観的情報量、それらを結びつけて考える力が合わさって本当に必要としている人のところに届くと人は人の力で助かることがあるのかもしれない。私は本当の意味で、相手の立場に立って考えることができていたことはなかった。そしておそらく、相手の本当に求めることを理解しようとしてはいなかった。相手も自分が何を求めているのかわからないパターンもあると思う。他者との会話の中で、自分が本当に必要なこと求めていることに気づくパターンが存在すると思う。それを引き出すこともある種の能力だ。独りよがりではいけない。

 

まずは数当てる。そして、その中から相手が選び取る様子を見て、何を求めているかを推測する。それを言語化する。一人ではわかり得なかった気持ちに辿り着くお手伝いをする。今回、妊娠出産をきっかけに、言語化できない相手のニーズをいかに探り当てるかというゲームをすることになった笑。

 

例えば高齢者の方。認知症を患っていたとしても、どんなことが自分にとって心地よいのか、なにをしたいのか、何に困っているのか、多少なりとも言葉にしたり態度で示したりできる人が多い。でも、赤ちゃんはそうじゃない。言語化が全くできない生き物との言葉を介さない対話は初めて。だからひたすら困る笑。わからないんだ、この子が何を求めて泣いているのか。わからないから、数打つしかない。この子自身もわからない場合も多い。そして数打った中から一つ当たったら今回はこれだった、前回もこれだったから、まずはこれを試してみよう。みたいな感じで経験を詰んでトライアンドエラーしていく。それを記録する。ある種、子育ては私にとってリハビリを毎日しているのと同じなのかもしれない。トライアンドエラーがリハビリ業務において、私が苦手とする部分だった。でも、リハビリじゃなくても、例えば目標達成のためにどうするか、みたいなところでもこれは必要な過程だと思う。どれだけ具体的かどうかに目標達成率は関係してくる。

 

ここまで文章にして、何かが掴めそうな気がしている。あと少しで何かに気づけそうな感じ。

 

ただ、私の知識が圧倒的に足りてないパターンがある。それはマジでしんどい。なにをしたらいいかがわからない。なにを結びつけるべきか、私に何ができるのか、はたまたできないのか。人類にできることできないことが分類できない。経験値でもあり、知識量のところでもある。

 

わたしが解決できない部分は周りの人に助けて貰えばいい。自分に必要な知識が足りてなくてできない場合、他者の情報・経験・力を借りていける場合がある。そう言った意味で他力本願。他者がどれだけ自分に尽力してくれるか、いかにこの人のためなら持てる全ての力を使おうと思わせるか。コミュニケーション能力の部分だ。生きていく上で必要な能力は、他者を味方につける能力かもしれない。

 

結局は国語力がものを言う。国語力、すなわち理解力。言葉になっているものを分解し、より具体的にする力、言葉になっていないものを言語化する力。

 

 

今回、長年うまくいかなかった実家暮らしを実現した。生まれてこのかた一度もうまくいっていなかった実家暮らしをクリアした。それは子供のため、というところが大きい。けどなんとかなった。孫のために両親も尽力してくれる。

 

そして、料理。今まで本当に苦手だった。でも、ここにきてやっと少しこなせるようになってきた。まだまだ苦手だけど笑。

 

リハビリも、もしかすると今までやってきた感覚とは違った感覚でできるかもしれない。同じ結果にはならないかもしれない。覚醒してからやったことがないから、よりうまく立ち回れるようになるかもしれない。そう考えて、再びリハビリの世界に飛び込もうと思う。