報告

感じたことを言葉にするのが意外と苦手なんです。感想とか書けなくて、推しにもお手紙書いたり、SNSで伝えたりするはなかなかハードルが高いです。でも、少しずつやっていくのも良いのかなって思いました。

 


久しぶりに推しのライブに行きました。数ヶ月ぶりに化粧をして、髪の毛をきちんと束ねて、シュシュをつけました。その姿を鏡で見ると、なんだかいつも見ている顔が自分じゃないような感覚に陥りました。

 


実は、1月10日に女の子を出産しました。妊娠中は本当に体がしんどくて、自分の体が自分じゃないみたいで、おかしかったです。苦しくて泣いて、しんどくて泣いて。イライラして人に当たって。夜は数時間おきにトイレに行って眠れなくて、横になると胃液が上がってくる。お腹に赤ちゃんがいるのはわかるけど、なんの役にも立てない自分が生きてる意味がわからなくて、人に迷惑ばかりかけている自分が情けなくて、毎日死にたいと思っていました。

 


でも、赤ちゃんが生まれてくると可愛くて可愛くて。しんどいことも多いけれど、産声を聞いた瞬間、涙が溢れました。自分の胸で小さくなって泣いている彼女を見ると、私がなんとしてもこの子を守らねば、という気持ちになります。この子には私しかいないんだ、と。子供を産んだら、なにもかも諦めないといけないと思っていました。自分のことはさておき、子供のことしか考えちゃいけないと思っていました。でも、違った。私が幸せじゃないと、この子も幸せにできないんだって、久しぶりに推しの声を聞いて、歌を聞いて思いました。何も諦めなくて良いんだって。ただ、優先すべきタイミングもあるから、それは見定めなくてはならない。今回は両親にわがままを言って、赤ちゃんを見てもらって、ライブにくることができました。色んな人に支えられて、今を生きていることを実感しました。ありがとう、と。

 


話は変わって…

最近、少し夢見が悪いです。夢の内容も理学療法士だった頃のことだったりしますが、患者さんのことをよく思い出すこともあります。デイサービス時代のことも、二か所の訪問時代のことも、わりと鮮明に思い出します。懐かしいし、もう会えない人も多いのだけれど、会いたいです。あれから何年も経っているので、お亡くなりになっている人や私のことを全く覚えていない人も多いでしょう。理学療法士の仕事はある意味一期一会で、患者さんの大切な一瞬を切り取って出会うお仕事です。なので、今この瞬間は私のことを慕ってくれていたとしても、少し間を開けると全くの他人になる可能性も高いのです。それがなんとも尊く儚い気がするのです。落ち着いたら、会える人には会いに行こうかなと思っています。

 


ここ数年のこと、特に長野県のことを思い出すと、胸が苦しくなります。未だに傷は癒えていないということなんだなと思います。苦しくてギュッとなる。こればっかりは時間が解決してくれるのを待つしかありません。楽しかったこともあるけれど、しんどかった経験のほうが多すぎて苦しくなるのでしょう。私の人生を劇的に変えた数年だったなと思います。それまでもまぁまぁジェットコースターみたいな人生ではありました。でも今回は落ちるところまで落ちたかんじです。これも全て私が選んだ結果です。

 


結果、家族を得ました。ずっと望んでいた家族という存在。父母は健在ですが、日々歳をとっているのでいつどうなるかなんてわかりません。私は私の家族が欲しかった。苦しくて辛かったけど、大切にしていく。孫の顔を見せられずに死ぬのだと思っていました。私が欲しいと望んでいる私の家族も夢物語だと。等価交換。何かを得るためにはそれ相応の対価が必要。今日たまたまAmazon primeで昔のハガレン観たのでその影響です笑。やはり、それ相応の痛みを伴いました。まだ終わってないけれど、大きな何物にも代え難いものを得られたので、あとは頑張るしかありません。

 

 

生まれてきてくれて、ありがとう。

大好きだよ。