セッション内容のざっくりメモ

私の中に少なくとも3人の人格がいる。夢を自由に描く私、さびしい私、あと1人。今、とても強く出ているのが「さびしい私」らしい。

 


自由にやりたい。本当はなにも決めてほしくない。期日を決められたもの、ルール化されたもの、制約があるものは、すべて我慢している感覚になる。

 


長野県に行くという誰も知らない土地に行くことで、「素の自分」と向き合うという課題にぶち当たる。北海道にいて、たくさんの友達といれば、向き合わなくてもよかった、ごまかせた。

 


インナーチャイルドが見つかった。絵の具セットとスケッチブックを持って、誰にも見つからないようにそそくさと移動してる。「私がここにいること、誰にも言わないでね」と言いながら。逃げるように。「バレちゃうでしょ。見つかったら、やめないといけない」と言っていたみたい。 

 


「どこに行ったら描けるかな」と。家はお母さんがいるから、ゆっくり絵を描けない。お母さんがいると、好きなことを好きなだけできない。

 


この、家が安心できない、好きなことができないかんじは、過去の記憶に遡った。私は、ベガ星にいたとき、神戸の彼と同じ時代に生きていたようだ。彼とは直接は交わっていないけれど、同じくらいの年齢。

 


時は宇宙戦争の世。戦争で全てが一気に変わった。おうちの中は好きなもので満たされていたけれど、戦争が起きて、逃げなきゃいけなかった。大切なものたちを「そんなのいいから!」と言われる。私にとっては、「そんなもの」ではなかったらしい。手を伸ばせば、その大切なものを掴んで逃げられたのに、すんでのところで、手を引かれて、引き裂かれてしまった。母と2人で生きてた時代だけれど、戦争により、傷を負った母を支えながら移動する私。母を放っておけない。その後も転々として生きていた。安心して、そこにいられないという感情の記憶。戦火から逃れられず、私たちは亡くなったらしい。

 


育成歴の中で、「安心して母に甘えられなかった」と「安心して自分の好きなことができなかった」があるらしい。家はあるのに、部屋もあるのに、「自分だけの空間がない」と感じていたみたい。たしかに、それはあったかも。私の部屋へもズカズカと入られて、あーでもないこーでもないってよく言われていたし、勝手に入られることで、侵されてる感覚が強かった。鍵もかからなかったし、私だけの空間を守れなかった気がする。

 


社会人になってからもそれは続いていて、真夜中に部屋の扉がバーンと開いて、わけわかんないことを怒鳴り散らして出ていくと言うことがあった。廊下の電気が煌々と母を照らしていたんだけど、私にとっては私の空間に土足で踏み入られる感覚だったのかもしれない。それが耐えられなくて、そのまま荷物をまとめて実家を出た。出た先の元夫(当時彼氏)のおうちでも、私の居場所はなかったんだけど。あの頃は、悲惨だったな。彼氏にも甘えられなくて。家には置いてくれたけど、彼は精神的にボロボロだった私をさらに追い込んだ。

 


甘えられないと寂しさは繋がっている。私の中には、「受け入れてもらうことを諦めた」と「甘えたい」が混在していて、でもやっぱり受け入れてもらえないから、しっなりしなきゃと思うようだ。

 


そして、ちょっとタイミングが良くないときに甘えてしまうと、すぐに絶望して諦める。「ほらやっぱり。私の愛は重すぎるんだ」と。人を信じられないんじゃなく、「愛を疑っている」らしい。

 


私は常に居場所を探してる。

私にとっての愛は=居場所。

ひとりの女性として愛されたい、幸せになりたい。

 

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